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東京高等裁判所 昭和56年(ネ)1468号 判決

控訴人・附帯被控訴人 国

代理人 梅村裕司 岩佐勝博

被控訴人・附帯控訴人 西村武

主文

原判決中控訴人敗訴部分を取消す。

被控訴人の請求を棄却する。

本件附帯控訴を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人(附帯控訴人)の負担とする。

事実

一  控訴人(附帯被控訴人。以下単に「控訴人」という。)は、本件控訴につき主文一、二、四項同旨の判決を、本件附帯控訴につき主文三項同旨の判決をそれぞれ求め、被控訴人(附帯控訴人。以下単に「被控訴人」という。)は本件控訴につき控訴棄却の判決を、本件附帯控訴につき「原判決中被控訴人敗訴部分を取消す。控訴人は被控訴人に対し、金二六〇万円及び内金二二〇万円に対する昭和五三年九月二日以降完済に至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。訴訟費用は第一、二審とも控訴人の負担とする。」との判決及び仮執行の宣言をそれぞれ求めた。

二  当事者双方の主張及び証拠関係は、次のとおり加えるほかは、原判決事実摘示「第二 当事者の主張」及び「第三 証拠」と同一であるから、これを引用する(但し、原判決六枚目表二行目の「これ」を「内金三八一万五九二八円」に訂正する。)。

(当審における控訴代理人の主張)

検察官が起訴時において収集した証拠資料について合理性を肯定しえないような評価を下し、その結果事実を誤認して公訴を提起したとしても、そのことだけで直ちに起訴が違法になるわけではなく、右収集した証拠資料を経験則に照らし合理的に評価すれば、右公訴事実の同一性を害しない範囲内で犯罪事実を認定でき、将来訴因変更によつて有罪判決を得られる合理的な嫌疑が存する場合には、右起訴は適法であると解するのが相当である。

そこで、このような観点から検討してみると、本件にあつては脅迫電話をかけた実行行為者が木済であつたとしても、本件起訴時において収集した証拠資料を総合すると、木済の供述から被控訴人が昭和五二年六月一〇日午後四時三〇分頃勤務会社作業所内において木済に対し「六月一二日に鹿島定吉に電話をかけて現金二〇万円を持参させて受取つて来るように。その際、目印として同人に白衣を着て帽子をかぶつて来させろ。」と指示し、木済がこれを承諾した事実が認定でき、また、このことから一連の脅迫電話は被控訴人の指示によつて木済がかけていた事実が推認できるのであるから、これらの事実によつて、恐喝犯行について被控訴人と木済との共謀は認定できる。そして、本件公訴事実について被控訴人において脅迫電話をかけて実行行為をした旨の当初の訴因を木済において脅迫電話をかけて実行行為をした旨の訴因に変更できることは明らかである。従つて、本件起訴は訴因変更によつて将来有罪判決を得られる合理的な嫌疑が存する場合にあたり、適法である。

(控訴代理人の右主張に対する被控訴代理人の反論)

木済の供述は、被控訴人が脅迫電話をかけたとする供述部分ばかりでなく、被控訴人が六月一〇日午後四時三〇分頃勤務会社作業所内において木済に対し指示した事実及び右指示の具体的内容に関する供述部分にも重大な矛盾ないし疑問点があるから、いずれの供述部分の信用性にも疑問をもつのが自然であり、これが合理的な証拠評価の方法である。従つて、本件起訴時において収集した証拠資料を総合してみても、被控訴人と木済が共謀した事実を認定することはできず、到底本件起訴が適法であるとはいえない。

(当審における証拠関係) <略>

理由

一  本件起訴に関する当事者間に争いのない事実

被控訴人が昭和五二年六月一六日逮捕され、同月一八日勾留の裁判があつて、同年七月二日横浜地方検察庁川崎支部検察官岩間利男により横浜地方裁判所川崎支部に恐喝未遂被告事件の被告人として起訴されたが、同年一一月二日保釈許可決定があつて同月四日釈放され、昭和五三年六月六日被告人を無罪とする判決が宣告され、右判決は同月二一日検察官控訴がされないまま確定したことは、当事者間に争いがない。

二  本件起訴における公訴事実及び本件刑事判決の無罪の理由

<証拠略>によると、被控訴人は木済彰と共に起訴され、第一回公判期日において検察官が訂正したのちの右両名に対する起訴状記載の公訴事実は「被告人両名(被控訴人及び木済)は共謀のうえ、鹿島定吉(当五〇年)が同人の娘悦子と被告人西村が同宿したことを流布したことから、さきに被告人西村において、昭和五一年九月ころから同五二年六月一一日ころまでの間、公衆電話をもつて夜間数回に亘り右鹿島定吉に対し「俺に恥をかかせたな、暴力団を知つているんだ、手前ら一人二人殺すのは訳がない、娘を出せ」等と申し向けて同人及び家人に対し不安感を与えていたことに乗じて右鹿島定吉から金員を喝取しようと企て、昭和五二年六月一二日午後八時ころ、被告人西村において、公衆電話をもつて川崎市中原区苅宿五二四番地の右鹿島に対し「今晩午後九時半に白衣を着たうえ帽子をかぶり苅宿消防署前に現金二〇万円を持つて来い」と語気するどく申し向けて金員を要求し、もし、その要求に応じないときは同人並に家族の生命身体にいかなる危害を加えるかも知れないと同人をして困惑畏怖させ、よつて同人から現金二〇万円を交付させることとしてこれを喝取しようとしたが、同人が中原警察署へ申告し警察官に逮捕されたためその目的を遂げなかつたものである。」(以上の事実のうち被控訴人に関する部分を以下「本件公訴事実」という。)というものであることが認められ、また、<証拠略>によると、本件刑事判決の無罪の理由の要旨は、一連の脅迫電話及び金員要求の電話をかけたのは被控訴人ではなく木済である疑いが極めて強いことと、被控訴人が木済と本件公訴事実にかかる謀議をした事実(以下「本件恐喝の共謀」という。)を確信をもつて認められる証拠はないことから、本件公訴事実は犯罪の証明がないというにあることが認められる。

三  本件起訴の違法性の有無

1  公訴提起の違法性の判断基準

刑事事件において無罪の判決が確定したというだけで直ちに公訴の提起が違法となるものでないことは、いうまでもない。公訴の提起は、検察官が裁判所に対して犯罪の成否、刑罰権の存否について審判を求める意思表示であるから、起訴時における検察官の公訴事実立証についての心証は、判決時における裁判官の心証とその程度を同じくする必要はなく、起訴時における各種の証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑があれば、公訴の提起は違法でないと解するのが相当である。即ち、起訴時において検察官が収集した証拠資料により犯罪事実を証明できると判断したことに合理性があれば、公訴提起は違法でなく、のちに無罪の判決が確定しても、被告人は公訴を提起されたことを理由として、国に対し国家賠償法に基づく賠償を請求することができないというべきである。そこで、本件起訴について、起訴当時収集されていた証拠資料により本件公訴事実が証明できると判断したことに合理性があつたかどうかを検討することにする。

2  本件起訴に至る捜査経過

<証拠略>を合わせると、本件被疑事件の捜査は、昭和五二年六月一二日午後八時一〇分頃鹿島定吉が神奈川県中原警察署に出頭して「今夜午後七時五五分頃、以前より脅迫電話をかけてきていた被控訴人から、今晩苅宿消防署前に現金二〇万円を持つて来いという電話があつたが、時間を午後九時半にして欲しい旨返答した。」と申し立て、保護を求めてきたことを端緒として開始されたこと、中原警察署員が右指定場所に張込みをしていたところ、同日午後九時二五分頃金を受取りに弓崎能照が現われたので、同人を恐喝未遂の現行犯人として逮捕したこと、次いで、鹿島定吉の長男雅明から中原警察署に同日午後一一時頃「鹿島定吉方へ午後一一時五分頃に前記指定場所へ鹿島定吉を来させるようにという電話があつた。」との通報があり、中原警察署員が右指定場所へ急行したところ、木済及び小島喜和がいたので、職務質問をすると共犯者であることを自供したため、右両名を緊急逮捕したこと、そして、被疑者である木済、小島及び弓崎並びに被害者である鹿島定吉の各供述に基づき、同月一六日中原警察署員が被控訴人を恐喝未遂の共犯者として通常逮捕したこと、右被疑者四名は地検川崎支部に送致され、勾留手続がとられるとともに、中原警察署員及び岩間副検事が右被疑者四名及び関係者らの取調をしたうえで、岩間副検事は収集した証拠資料により本件公訴事実が証明できると判断して、同年七月二日被控訴人及び木済を地裁川崎支部に起訴したこと、なお、小島及び弓崎は同日起訴猶予処分となつたこと、以上の各事実が認められる。

3  本件起訴が違法であるかについての判断

以上述べてきたところからして、本件起訴が違法であるかどうかは、本件公訴事実のうち被控訴人が一連の脅迫電話及び金員要求の電話をかけた事実と本件恐喝の共謀とを本件起訴当時収集されていた証拠資料により証明できると岩間副検事が判断したことに合理性があるかどうかにかかるので、この点について検討する。

先ず、<証拠略>によると、一連の脅迫電話及び金員要求の電話をかけたのが被控訴人である事実については、岩間副検事は鹿島定吉作成の被害届(<証拠略>)、同人の司法警察員に対する供述調書(<証拠略>)及び同人の検察官に対する供述調書二通(<証拠略>)(以下右<証拠略>を合わせて「鹿島定吉の供述調書」という。)並びに木済の司法警察員に対する供述調書四通(<証拠略>)及び同人の検察官に対する供述調書二通(<証拠略>)(以下右<証拠略>を合わせて「木済の供述調書」という。)によつて証明できると判断したことが認められる。ところで、<証拠略>によると、鹿島定吉が聞いた一連の脅迫電話のうち後半のもの及び金員要求の電話をかけてきた声は木済のものであることが本件被告事件の公判期日の最終段階で判明したことが認められ、また、原審及び当審証人木済彰は、本件口頭弁論期日において、同人が一連の脅迫電話のうちの一部及び金員要求の電話をかけたことを認める旨の証言をしたので、鹿島定吉の供述調書及び木済の供述調書中一連の脅迫電話及び金員要求の電話をかけたのが被控訴人であるとする部分は真実ではないと認めるべきである。しかし、本件起訴当時においては、鹿島定吉の供述調書は、同人が一連の脅迫電話及び金員要求の電話を直接受けており、同人が被控訴人と面談を二回した経験から右電話をかけてきた声が被控訴人のものであると確認し、終始一貫してその旨を述べているので、非常に信用性の高いものと評価されてもやむをえないところである。しかも、脅迫電話の内容は被控訴人と鹿島定吉の娘悦子が同宿したことに関連するものであるが、鹿島定吉の供述調書により認められる当時の状況から判断して右同宿の事実を知つていて脅迫の種にするのは被控訴人しかないと考えたとしても無理のないところであり、また、右各電話を被控訴人がかけたとする点において鹿島定吉の供述調書と木済の供述調書は一致しているのであるから、岩間副検事が鹿島定吉の供述調書及び木済の供述調書により一連の脅迫電話及び金員要求の電話をかけたのが被控訴人であると判断したことは合理性があると解すべきである。確かに、鹿島定吉の供述調書と木済の供述調書とを対比すると、両者の内容が矛盾するところがあり、特に、要求金額及び持参すべき日時場所が決つたのが鹿島定吉は六月一二日とするのに対し、木済は同月一〇日としており、ひいては右両供述調書の信用性につき疑問が生じないでもなく、また、<証拠略>は、いずれも本件起訴前に収集された証拠資料であるが、木済が六月一二日午後八時頃公衆電話でどこかへ電話をかけたことを内容とするものであり、木済の供述調書中にも同人がその頃電話をかけたことを認める旨述べているので、木済のかけた右電話が金員要求の電話であると推測することは不可能ではないから、これらの点について更に捜査を進めれば、より適切であつたということはできるものの、鹿島定吉の供述調書には前述のとおり信用性が高いと評価すべき事情があつたのであり、関係者の供述は原則として大筋において一致すれば足りると解すべきこと(恐喝等の被害者は脅怖、困惑、興奮等から記憶違いや言いまちがいをすることがあり、一方、被疑者は取調に対する緊張や自己の罪責を軽減しようとする思惑から事実に反する供述をすることがあり、被疑者の黙秘権の存在や捜査に必然的な時間・費用上の制限にも配慮すれば、関係者の供述の不一致のすべてにわたつて捜査を尽くさなければならないものとするは実際的でない。)を考えると、岩間副検事が更に捜査しなかつたことにつき合理性を欠くというべきではない。また、電話機を通じての音声は直接の音声とは異つて聞こえるものであるが、前示事情のもとでは、鹿島定吉に被控訴人等の音声を電話機を通じて聞かせるなどの実験をして、脅迫電話等をかけてきた声の主の確認をしなくても、岩間副検事が当然にすべき捜査方法を怠つたと解すべきではなく、この点においても岩間副検事の判断は合理性に欠けるところはない。

次に、<証拠略>によると、本件恐喝の共謀を直接証明するための証拠資料として本件起訴までに収集されたものは木済の供述調書であり、これを補強するものは小島の司法警察員に対する供述調書(<証拠略>)、同人の検察官に対する供述調書(<証拠略>)、弓崎の司法警察員に対する供述調書二通(<証拠略>)及び同人の検察官に対する供述調書(<証拠略>)であり、岩間副検事はこれらによつて本件恐喝の共謀を証明できると判断したことが認められる。そして、鹿島定吉の供述調書及び木済の供述調書により一連の脅迫電話及び金員要求の電話をかけたのが被控訴人であると証明できることを前提とした場合、木済の供述調書により本件恐喝の共謀を証明できると判断することは、当然のなりゆきである。尤も、前にも触れたとおり、木済の供述調書においては、六月一〇日に被控訴人から鹿島定吉が持参する日時場所、金額(後半の供述調書には含まれていない。)、同人の服装等について指示を受けたとなつているのに、鹿島定吉の供述調書においては、右日時場所、金額、服装が決まつたのは六月一二日であるとして矛盾しており、また、木済の供述調書においては本件恐喝の共謀は六月一〇日午後四時四〇分頃又は三〇分頃勤務会社の作業場内でされたことになつているところ、<証拠略>によると、木済は終業時に入浴し被控訴人は終業後直ちに退社するのを常としているので、両名が右時間に勤務会社の作業場内で謀議する可能性が薄いことが認められ、これらの点について更に捜査を進めれば、本件恐喝の共謀が存在しなかつたことが明らかになつたかも知れないが、恐喝のきつかけとなつた被控訴人と鹿島悦子が同宿した事実は被控訴人が話さない限り木済が知ることは考えられず、本件公訴事実中の鹿島定吉に対する白衣を着たうえ帽子をかぶつて来るようにとの服装の指示は、鹿島定吉方を訪れて同人が日常右のような服装をしていることを知つている被控訴人でなければ(このことは鹿島定吉の供述調書から認められる。)思いつかないものというべきであるので、日時場所は別として、少くとも被控訴人と木済との間に鹿島定吉を恐喝するという共同の意思が成立したものと判断することには合理性があり、このことから進んで、木済の供述調書により本件恐喝の共謀が証明できると判断し、更に捜査をしなかつたことも、本件起訴を違法とする程の手落とみるべきでなく、右判断過程に合理性を欠くところはないと解すべきである。

ところで、<証拠略>によると、被控訴人は逮捕以来本件起訴に至るまで一貫して本件公訴事実を否認する旨の供述をしていたことが認められる。しかし、右供述中には被控訴人は昭和五二年二月頃勤務会社が鹿島悦子を馘首しようとしたのでそのことを鹿島定吉に伝えたとする部分があるところ、<証拠略>によると、中原警察署の警察官が本件起訴前に勤務会社の総務課長八木則敬を取調べた結果、勤務会社が鹿島悦子を馘首しようとしたことはなく、却つて被控訴人が勤務会社の青山常務に対し鹿島悦子を馘首するよう申し出たことが判明したことが認められるので、被控訴人の供述中前記部分が虚偽であることは明らかであり、このことから被控訴人の供述が全体としても信用性がないと判断されてもやむをえないところであり、この点も、岩間副検事の本件公訴事実についての判断に合理性があることの根拠となるものである。以上により岩間副検事の本件起訴には違法性を認めることはできないものというべきである。

なお、<証拠略>によると、本件被告事件は公判期日が六回開かれて証拠調が終了し、検察官の論告求刑と弁護人の意見陳述がされたのち、裁判所からの希望で更に証拠調をすることになり、被控訴人及び木済に電話機を通して発声させ、それを鹿島定吉外に聞かせて脅迫電話及び金員要求の電話の声がいずれであるかの供述を求めるなどの証拠調をして結審したことが認められるが、この事実から判断すれば、本件被告事件の裁判所は六回目の公判期日までの証拠調の結果では、被控訴人の有罪無罪について確信を得られなかつたのではないかと推測され、更に心証形成のため右証拠調を希望したものと思われる。そして、前記各証拠によると、六回目の公判期日までに取調べた証拠の内容は、本件公訴事実に向けて岩間副検事が本件起訴までに収集した証拠資料と比べて、同程度か、又はそれよりも幾分被控訴人に有利なものであつたにすぎないことが認められる。これを要するに、被控訴人についての本件公訴事実の有無の判断には微妙なものがあり、検察官に起訴の段階において正確な判断を要求することは酷であつたというべきである。

四  まとめ

従つて、本件起訴が違法であると認めることはできないので、その余について判断するまでもなく、被控訴人の本訴請求は理由がなく、棄却すべきものである。

よつて、右と趣旨を異にする原判決中の控訴人敗訴部分を取消し、本件附帯控訴は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 鈴木重信 加茂紀久男 大島崇志)

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